And then, Sorrowful Foreign Language

Haruki
Murakami
February 25, 1994
Kodansha

ISBN4-06-206800-C0095


This is an essay on various episodes of his life in America.
He has worked as a visiting scholar at the Princeton University for 2 years.

 

やがて哀しき(かなしき)外国語(がいこくご)

村上(むらかみ)春樹(はるき)

1994
年(ねん)2月(がつ)25日(にち)

講談社(こうだんしゃ)


Quate from my memo

 ・ (なん)()国語(こくご)でコミュニケーションしたところで、(ぼく)という人間(にんげん)他人(たにん)伝えられる(つた)ことは限られて(かぎ)いるじゃないか。

  40
過ぎて()自分(じぶん)(なか)における外国語(がいこくご)習得(しゅうとく)優先(ゆうせん)順位(じゅんい)低下(ていか)してきた
……

  そんなに何もかも(なに)はできないし、時間(じかん)総量(そうりょう)足りない()
……

 
  自分(じぶん)思って(おも)いることを日本語ですらすらと口語的(こうごてき)表現(ひょうげん)できない人は、

    外国語(がいこくご)をいくら熱心(ねっしん)勉強(べんきょう   )したところでうまくは話せ(はな)ないだろう


 ・ すらすらと外国語(がいこくご)喋れて(しゃべ)コミュニケートできるからといって、個人(こじん)個人(こじん)気持ち(き も)がすんなりと通じ合う(つう あ)という

 ものではない

 
  日本語(にほんご)素晴らしい(す ば)言語(げんご)に見えるのは、それが我々(われわれ)生活(せいかつ)からしぼり出された()言語(げんご)であるからであり、

  それが
我々(われわれ)にとって欠く()ことのできない自明的(じめいてき)一部(いちぶ)になっているからであって、日本語(にほんご)という言語(げんご)

    特質(とくしつ)そのものが優れて(すぐ)いるからではない

 
  自明性(じめいせい)というものは永劫(えいごう)不滅(ふめつ)のものではない。たとえどこにいたところで、僕ら(ぼく)はみんなどこかの部分(ぶぶん)でストレンジャー

  であり、
僕ら(ぼく)はその薄明(はくめい)のエリアでいつか無言(むごん)自明性(じめいせい)裏切られ(うらぎ)切り捨てられて(き   す)いくのではないか

 といううっすらと
肌寒い(はだざむい)懐疑(かいぎ)感覚(かんかく)……

 

He mentions the volunteer, community, generation, feminism, etc. in this book.